マトリョーシカの観賞に思う二三の事柄
マトリョーシカをつくったことがある方は、痛切に感じたと思うが、
マトリョーシカは、三から四頭身なのである。
美人と呼ばれる基準が八頭身と言うならば、
正確に生身の女の子を描こうとすると、
マトリョーシカはすべて頭でっかち、悲しいほどに短足、
そして肩幅と顔の大きさがほぼ同じという、
何とも救いのない体型になってしまうのである。
そのバランスの悪い体型を少しでも違和感ないようにと、
マトリョーシカ作家の方々は、
プラトークを被らしたり、エプロンで足を隠したり、
お腹に物語を描いて身体の線を無きものにしたり、
と苦心しながらロシア美人を創り出しているわけである。
そこで写真のマトリョーシカをご覧いただきたい。
あくまでも顔は大きく描くという、
ほかの作家が行わない手法に挑戦し、
三つ編みの少女の純朴な美しさを表現。
腰から下は最初から描く気持もありませんという
大胆な構図に打って出ているのである。
人形は顔が命という定義に基づいた逆転の発想。
様々なアイデアと突拍子もない着眼点で、
マトリョーシカはつくられている。
伝統的な工芸品でありながら、
入れ子という以外のルールがないのがマトリョーシカ。
描き方ひとつでも作家の自由な発想が込められている。
それゆえにマトリョーシカ観賞の面白さは
バイカル湖のように深い。
たぶん。
(店主・YUZOO)
6月 6, 2016 マトリョーシカ | Permalink
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